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2009 年09 月11 日

全く機能しない行政事件訴訟法の執行停止制度

 大阪地裁平成20年10月1日決定(判例地方自治319号41頁)から
 この事案は、第2京阪道路の建設事業のため、土地とその上のエノキの木の収用・明渡しをすることになったのに対して、その収用裁決の取消と明渡の代執行の執行停止を求めた裁判だ。それに対して、大阪地裁は執行停止の申立を却下した。

 申立人の主張は、@自らの経営する保育園の食育・食農保育活動ができなくなる(詳細が分からないが、おそらく収用対象土地を保育園の農園として使っていたのだろう。)、Aエノキの木は古くから農神様として祀られてきた、B第2京阪道路の供用が開始されると周辺住民に健康被害が生じるというものだ。

 それに対して、裁判所が申立を却下した理由を見てみよう。
 まずはじめに、土地を使用収益できなくなることによる損害、エノキの木の収用伐採による損害は財産上の損害として土地収用法の損失の補償ないし損害賠償により填補されるべきものだから、行訴法25条2項の重大な損害に当たらないという。 しかし、そんなことを言えば、人の健康や身体・生命の利益だって、事後的に金銭賠償で足りるという話になってしまう。
 @は、保育園の食育活動は他の土地でも代替可能であり、土地を保有しなくても食育活動が不可能となるものでもなく、その損害は社会通念上行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならない重大な損害ではないという。 しかし、この理屈で言えば、自宅だって、そこで住まなくても生きていけるだろう、という話になる。
 Aは、エノキの木が文化財等として法令上保護されている証拠はないし、その歴史上学術上の特別の価値が広く一般に承認され又は我が国の国民生活の推移の理解のため欠くことの出来ないものとの認識が確立している疎明もなく、エノキの社会的価値の損失をもって社会通念上行政目的の達成を一時的に犠牲にしてまでもなお救済しなければならない重大な損害ではないという。 こんな事を言えば、守られるのは国宝ぐらいか。
 Bは、第二京阪道路の供用開始により大気汚染や騒音がどの程度悪化し申立人らの生命、健康ないし生活環境に具体的にいかなる態様、程度の被害が生じる蓋然性があるのか具体的な主張や疎明もなく、いまだ抽象的な可能性にとどまる申立人の健康被害ないし環境被害をもって行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならない重大な損害があるとは認められないという。 要は、自分の健康が害されたり、死なない限り、保障されないという話だ。
(以下続く)

 こんな馬鹿げた執行停止などあるはずがない。しかし、それでも行訴法の執行停止の要件である「重大な損害」の解釈としては正しいのだろう。西川コートの結論だから。
 しかし、こんなのであれば、およそ執行停止が認められる余地もなく、その制度の存在価値もない。そもそも達成すべき行政目的・公益と行政執行により被害を被る私益とを比較考量をして、行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならない重大な損害があるかという基準を立てた途端に、執行停止は無意味になる。それで執行停止が認められるとすれば、国宝級のものでしかない。圧倒的多数の国民の身近な財産は、いかにそれがなけなしのお金で買った土地であっても、その人にとってはとても大切な価値のある土地なのであって、それを守ることの出来ない執行停止制度には何の価値もない。「こんなものいらない」の典型例だ。なまじそんな気休めにもならない制度があるせいで、人は幻想を抱いてしまう。

 行訴法の執行停止の制度は、被害の疎明があれば、それが後に損害賠償で補填されるようなものであろうと、執行停止による行政の損害が著しいものでない限り、執行停止されなければならない。そんな制度に大きく改正されるべきだ。

投稿者:ゆかわat 20 :54| ビジネス | コメント(0 )

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